神田の歴史と、橋本産業

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神田の歴史と、橋本産業

神田の発展と歴史

江戸城の北東に隆起した高台を上ると、駿河台と呼ばれる、文字通りの三河・尾張の武将が集まった地区になります。その高台の眼下には、現在の神田駅にあたるところの家並みが広がっていました。下町と呼ばれる代表格に、神田界隈が挙げられるのは、商店の軒先や職工所が所狭しと連なっていたからです。治世を担っていた江戸幕府は、米を徴収し財政基盤としていたため、産業の高度化にともなう米価の下落とともに困窮し、ついには300年の幕政に終止符が打たれる遠因となりました。

化政文化以降、江戸の町人文化が花開き、出版・貸本業が盛んになりました。そして情報の蓄積や流布、啓蒙がベースとなり、明治の扉が押し開かれる19世紀にはすでに、神田が、技術開発、人材輩出、文化発信の町として、文明開化を後押しすることになりました。その象徴が、東京大学の開校であり、また私立大学では、法政大、中央大、明治大、日本大などの設立ラッシュです。

人材の流入や輩出を基点に、昭和期に入っても着実な発展を続ける神田では、橋本商店が産声をあげていました。欧米に追いつき追い越せでまい進していた当時の日本では、工業化の進展にともなう管材需要の伸びが著しく、安定供給に腐心する卸販売業が活況を呈しました。人間で言えば、血液を体中に流すことになる管工材の役割は、建物や工場のようなハコモノに生命の息吹を宿すための、命綱です。当時は、戦争景気や関東大震災、そして戦後の帝都復興などに至るまで、莫大な需要に支えられていたとは言え、日本の発展に欠かせないものなのです。

神田の古地図

散策ガイド

再開発プロジェクトが目白押しの秋葉原を抜けて、山手線の高架下を一路東京方面に歩くと、かなり歩いたのち、ちらほらと目に入るのがレンガ色の風景です。気付くと、周辺にはいつの間にか賑やかなネオンライトが交差し、お世辞にも清潔とは言えない雑居ビルに並び立つストリートが駅前を所狭しと走っています。これが神田駅です。東口も北口も、西口も南口もオフィスを後背地に抱え、駅前は四方を居酒屋・喫茶飲食店が埋め尽くしています。整然としている東京駅や日本を代表するオタク文化の発信地、秋葉原駅の間に位置した神田駅周辺は人間味溢れる空間となっています。

現在、約10万人もの人々が一日に乗降し、駅とその周辺を頻繁に往来しているのです。

橋本産業にお越しいただくときは、駅東口に立ち、高架下の信号を渡り、町の喧騒を振り払うように、歩を進めてください。現代の象徴であるコンビニエンスストアや、創業が戦前という歴史ある事務所などに囲まれた一角に橋本産業の看板が掲げられています。時代を経ても、その歩みの痕跡をカタチに残しながら、神田は時の姿を変えていきます。もしお時間があるようでしたら、休日に、神田川に沿って当社のお近くにお越しくだされば、時代がホットに共存した空間を楽しんでいただけると思います。

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